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はやしますみ-林眞須美






はやしますみ-林眞須美
  • 林眞須美

  1. 冤罪の可能性を疑う人は少なくないだろう。物証がない。日頃の行いが災いした心証だけの犯罪だし、何よりも本人は否認を続けている。計画的に複数を殺めれば死刑になるから否認していると取れなくも無いが、すっきりしている人はいない。
  2. 捜査は最初から決めて掛かっていなかったか。マスコミと一緒に警察は踊っては居なかったか。
  3. 確かに、検証を試みる必要はあるのかもしれない。 真犯人がもし居たなら由々しきことだ。もし、17年が真犯人を動かしていたなら何かが見えてくるかもしれない。彼女に不利な証言をした人物についても改めて調べる必要があるかもしれない。



http://tocana.jp/2015/08/post_6956_entry.html

【死刑囚の実像】林眞須美と2年間連絡を取り続けて


報道内容と違うではないか! 【毒カレー死刑囚】林眞須美と会って深まる“印象操作・冤罪”疑惑!
 

2015.08.03

画像は、『林真須美の謎―ヒ素カレー・高額保険金詐取事件を追って』(ネスコ)


 1998年に和歌山市園部の夏祭りでカレーにヒ素が混入され、60人以上が死傷した毒物カレー事件は7月25日で発生から17年になる。殺人罪などで検挙された林眞須美(54歳)は2009年に死刑確定したが、一貫して無実を訴え、現在も再審請求中だ。その執念が実り、近年は冤罪を疑う声も増えてきた。

 筆者が眞須美に初めて会ったのは、2007年の夏だった。眞須美は当時、一、二審共に無実の訴えを退けられ、最高裁に上告中。事件発生当初の報道で「平成の毒婦」のイメージを喧伝された眞須美だが、この頃には冤罪の疑いが指摘され始めていた。そこで一度本人に会ってみようと、収容先の大阪拘置所を訪ねたのだ。

「若いんやねえ。もっと上の人かと思うてたわ」

 ニコニコしながら面会室に現れた眞須美は、初対面なのにフレンドリーだった。筆者は当時すでに30代後半だったが、事前に出していた手紙の文面から眞須美はもっと高年齢の人間を想像したらしい。そして挨拶もそこそこに、自分の無実を矢継ぎ早に訴え始めたのだった。

画像は、「眞須美が今も収容されている大阪の拘置所」

「私が一審の公判で黙秘したんは、一緒に保険金詐欺で捕まった主人を先に外に出すためだったんよ。私の裁判は10年かかるって言われてたから、主人に子供たちの面倒をみてもらおうと思ったんよ」

「事件が起きた頃、私が紙コップを持ってカレーの鍋に近づいたのを見たって、マスコミに話しまくってた男の子がおったやろ。あの子、裁判に出てきてないんやで」

 大阪拘置所では、被告人の面会は1日に1回10分程度に限られている。眞須美はわずかな面会時間を1秒も無駄にしたくないようだった。その後、死刑確定するまで2年近く面会や手紙のやりとりを重ねたが、面会中はいつもまくし立てるような話し方だった。

■10年くらいは仕方ない

 眞須美の冤罪説が広まる中では、根拠の1つとして「眞須美はカレー事件のような金にならないことはしないタイプ」ということがよく指摘されてきた。これは筆者も同意できる。眞須美本人もこう言っていた。

「なんで私が、カレーにヒ素なんか入れんとあかんの。あの事件がなかったら今頃、うちはマンション建ててるわ」

 カレー事件の発生後、眞須美が捜査線上に浮上したのは、事件前に夫の健治(70)と一緒にヒ素を使って保険金詐欺を繰り返していた疑惑が発覚したためだ。確定判決でも眞須美は健治と共謀のうえ、複数の保険会社から約1億7000万円の保険金をだまし取ったとされている。しかし実際には、夫婦は保険金詐欺で10億円はせしめていたという。

「だから10年くらいはしゃあないと思うんよ。でも、やってもないカレー事件のことで死刑はありえんわっ」

 眞須美がそう言ったのは、逮捕から10年が経過した2008年頃のことだ。眞須美は深刻なことも面白く話す性格で、付き合っていて、飽きることがなかった。

■ニコニコして、愛想のいい人

 筆者は取材を重ね、眞須美に冤罪の疑いを深めていったが、その中では初期報道で抱いた印象と現実のギャップに驚くことも多かった。その最たるものが地元での眞須美の評判だ。

「家のそばの用水路にゴミを捨てる」「年がら年中、職業不詳の男たちが家でマージャンをしている」「夜中でもカラオケをやる」「車のクラクションをけたたましく鳴らす」

 事件発生当初の報道では、林家のそんな悪評が次々伝えられていた。あれで眞須美が地元で有名な嫌われ者だったように思った人は世間に多かったろう。筆者自身もそうだった。

 だが取材してみると、少なくともカレー事件が起きるまでは、眞須美の地元での評判は案外悪くなかった。前記したような地元住民たちの悪評はあくまで「林家」に関する評判で、嫌われていたのはもっぱら風貌がコワモテだった夫の健治やそのマージャン仲間の男たちだった。眞須美個人を事件前から悪く思っていた地元住民もいないわけではなかったが、ほとんど見当たらないのだ。

 忘れられないのが、眞須美が行きつけだった地元の美容院の女性の証言だ。

「事件前、あの人のことはニコニコして、愛想のいい人だと思ってたんですよ。でも事件が起きた後、マスコミの人が次々取材に来て、色々話を聞かされるでしょ。それで、そんな悪い人だったのか……と思うようになったんです」

 眞須美は壮大な保険金詐欺に手を染めてはいたが、それはカレー事件が起きるまで地元住民たちも知らなかったことだ。筆者が調べた限り、眞須美は地元では波風を立てずに生きており、事件以前から地元で嫌われていたというのもマスコミが広めた誤解のようなのだ。

■泣いていた最後の面会

 2009年4月21日、最高裁に上告を棄却されると、その約1カ月後に死刑確定する頃まで眞須美のもとには連日、マスコミや支援者らの面会が殺到した。死刑囚の処遇になると、親族や弁護人以外との面会や手紙のやりとりがほとんど認められなくなるためだ。

2009年4月21日、最高裁の判決公判には報道陣が集結

 この時期は「少しでも多くの人に会っておきたい」という眞須美の要望により、面会希望者は連絡を取り合い、常に3人1組で眞須美を訪ねていた。1回の面会で3人まで同席できるためである。筆者が5月1日、最後に面会した際もテレビ記者や雑誌編集者と一緒だったが、この時の眞須美の様子は今も忘れがたい。

「今は毎朝、死刑執行に呼び出される夢でうなされて、目を覚まします。夢の中で私は、『こんなに早いんですか!?』と言いながら、泣き泣き連行されていくんです」

「私のことをカレー事件の犯人だという人はみんな、報道でそう思っているだけです。裁判の中身を見たら、私を絶対に死刑にできないはずです。犯罪の証明なんて何もできていないんですから」

 面会はこの日が初めてだというテレビ記者に、眞須美は必死にそう訴えていた。ふと見ると、涙が頬をつたっていた。健治によると、眞須美は以前から「面会に来てくれる人の前では明るく振る舞ってるけど、実際はもう心も体もボロボロやで」と話していたという。死刑が事実上確定していたこの時は、感情の高ぶりを抑えられなかったのだろう。

 あれから6年。今年、弁護側の鑑定依頼を受けた京都大学の河合潤教授が有罪の決め手になったヒ素の鑑定データを再分析し、「林家にあったヒ素」と「現場で見つかったヒ素」が異なる物だと判定。河合教授の鑑定書や意見書はすでに和歌山地裁の再審請求審に提出されており、その行方が注目されている。再審が始まれば、眞須美も法廷に立つことになるが、筆者は最近、その姿がリアルにイメージできるようになっている。


(取材・文・写真=片岡健/【死刑囚の実像】シリーズまとめ読みはコチラから)

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