しきもりいのすけ-式守伊之助|
のぐちいつお-野内五雄
- あの腐った横綱白鵬と同じ部屋(宮城野部屋)と言うのが面白い。白鵬はこのセクハラ行司の付け人をやったとか。部屋も腐っているのだ。相撲協会はこの腐った部屋に注意も指導も何も言わない。協会も腐っているからだ。危機管理委員会などその存在自身が危機的だ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54090
大相撲行司セクハラ事件、式守伊之助の言い訳に潜む「2つの問題点」
人権よりも協会ルールが大事なのか
原田 隆之
筑波大学教授
これは「セクハラ」なのか
元横綱日馬富士の暴行事件の騒動がまだ収まらぬ中、今度は現役最高位の行司・式守伊之助によるわいせつ事案が明るみに出た。
報道によれば、冬巡業中の沖縄で、未成年の若手行司に対し数回キスをしたり、胸を触ったりするという行為に及んだという。被害者となった行司は、ショックを受けてはいるが、被害届を出す意向はないとのことだ。
相撲協会の危機管理委員会にはただちに報告がなされ、関係者への事情聴取も実施されたというが、発表されたのは1月5日になってからのことであった。
このような事件があると、「セクハラ」という報じられ方をするが、この事件は強制わいせつの可能性もある犯罪である。しかも、相手は未成年であり、職務上部下に当たる弱い立場の者に対してなされた卑劣な行為である。
セクハラなどという軽い言い方で片付けてはいけない。
前の騒動も収まらないうちに、しかもまた酒席での不祥事であることや、事もあろうに行事の最高位という責任ある地位にある者が……ということで大きな顰蹙を買っているわけだが、私はこの事件にはもっと根深いものがあると思う。
〔PHOTO〕iStock
「泥酔」という言い訳が許されるはずがない
私が問題だと思ったのは、この事件に対する本人の釈明である。本人は、「泥酔していたので覚えていない」「自分は男色の趣味はないので、なぜこのような行為をしたのかわからない」と述べたという。
まず、酒の上でのことだと言って逃げることは許されない。
本人が所属している部屋の宮城野親方は、「酒を飲むと正気を失うことがあった」と述べているように、彼は過去に何度も酒の上での不始末を行ってきた過去があるようだ。
だとすれば、真っ当な分別のある大人であれば、酒をやめて自らの行動を慎むのが当たり前である。それができないならば、アルコール依存症である。
世界保健機関(WHO)によるアルコール依存症の診断基準には、「飲酒の開始、終了、あるいは飲酒量に関して行動を統制することが困難」「明らかに有害な結果が起きているにもかかわらず飲酒する」という項目が含まれている。
親方の証言が事実ならば、彼はアルコール依存症の疑いがきわめて強い。だとすれば、このような事件を起こす前に、治療を受けることも本人の責任だった。
それを放置または軽視しておきながら、大事な巡業中に正気を失い、記憶を失うほどまでの深酒をし、不始末を犯してしまったことに対して、「泥酔していた」と言い訳にすることが許されるはずがない。
酩酊下で事件を起こした場合であっても、そして飲酒が事件の原因の1つであったとしても、それは「原因において自由な行為」であるとして、その責任は帳消しにはされない。
つまり、その「原因」を作ったのは本人の責任というわけである。飲酒するかどうか、どれくらい飲むか、これらを決めて実行するのは、本人の自由であり責任であったのに、それを怠ったことにそもそもの責任がある。
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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54090?page=2
大相撲行司セクハラ事件、式守伊之助の言い訳に潜む「2つの問題点」
人権よりも協会ルールが大事なのか
原田 隆之
セクシャリティの問題へのすり替え
次に大きな問題は、「男色の趣味はない」という言い訳である。まず、男色であることは「趣味」の問題ではなく、性的指向であり生き方の問題である。
これは、単なる言葉遣いの問題ではなく、性的指向の多様性やLGBTの人々の人権に関する意識が高まりつつある今日において、いかにも時代遅れの意識を持っていることを図らずも露見させたものである。
そしてここにもまた、角界の旧態依然とした人権意識が見えてしまったと言っても過言ではないだろう。
そして、何より問題なのは、この事件は「男色の趣味」があるかないかはまったく関係ないにもかかわらず、それをセクシャリティの問題にしようとしていることである。
「男色の趣味はないので、なぜこのような行為をしたのかわからない」というならば、「男色の趣味」があったのならば、このような行為をしたことの説明がつくとでもいうのだろうか。
そんな馬鹿なことはない。
同性愛だろうが、異性愛だろうが、分別のある大人であれば、同意のない他者の身体に、一方的に触れたり、性的な振る舞いをしたりはしない。この事件とセクシャリティとは、まったく関係がない。
また、彼にとって、事件を起こしたことよりも、同性愛者として見られることが屈辱的だったのではなかろうかとも思える発言でもある。これらのことから、同性愛者を見下し、差別する意識が透けて見える。
事件を受けて、同じ部屋に属する横綱白鵬も、「昔は彼の付き人をやっていましたが、そんな趣味はないと思いますけど」と笑いながら述べていた。相も変わらずだと、呆れるほかない。
〔PHOTO〕gettyimages
相撲協会はまたお茶を濁すのか
今後相撲協会は、本人についての懲戒処分を話し合うとのことである。宮城野親方も「言い聞かせて酒をやめてもらう」と話していた。
一方、協会全体としては、暴力事件にしても、今回の事件にしても、理事長による講話といったその場しのぎのお手軽な対策だけでお茶を濁すのだろうか。
八角理事長は、「これまでも過度の飲酒をしないように」ということを繰り返し訓示してきたと述べていた。だとすれば、それに効果がないことは明白ではないか。
暴力事件の後も、全力士を集めて、講話をしたことは記憶に新しい。彼らにはそれくらいしか打開策がないというのが悲しい。
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大相撲行司セクハラ事件、式守伊之助の言い訳に潜む「2つの問題点」
人権よりも協会ルールが大事なのか
原田 隆之
相撲協会が本当にすべきこと
まず、人権意識については、現代の人権の考え方などに対して、頭が古くて固い理事長や理事も含めて、全員が専門家による研修を受けるべきである。
そのなかでは、パワハラやセクハラ、LGBTや差別、こうした問題について幅広く最新の知識を学ばなければならない。
当事者を呼んだり、事例を聞いたりしながら、一方通行の受け身的な研修にならないように、当事者意識を持ってグループ討議やワークショップなどを実施すべきであろう。
また、飲酒や暴力に関しては、知識だけを植え付けても何の役にも立たない。先に説明したように、飲酒行動を自分の意志で統制ができないのが、アルコール依存症の症状である。「わかっちゃいるけど、やめられない」のだから、いくら当たり前のことを説いたとしても、何の解決にもならない。
〔PHOTO〕gettyimages
暴力にしても同じである。頭では暴力はいけないとわかっていても、暴力を振るう者は、何かと理由をつけて、「振るってもよい暴力」を作り上げるのが常である。理事長講話など、馬の耳に念仏もいいところだ。
アルコール依存にしても、暴力にしても、きちんと専門家に委ねて、科学的な根拠に基づいた対処や治療をすべきである。なぜなら、現代において依存症や暴力は、「公衆衛生」の問題だと考えられるようになってきているからである。
かつて、アルコール依存症は「心がけの問題」「意志の問題」と考えられ、どちらかというと道徳的な視点で語られることが多かった。暴力については、今でもそのようにとらえられているだろう。
しかし、いずれも、感染症や生活習慣病と同じように、予防も治療もできる「病気」だという考えが、専門家の間では主流になりつつある。
病気であれば、それらのリスクを診断し、リスクの高い者に対しては、予防や専門的な治療を行うようにすべきであるが、依存症も暴力も同じことが可能である。
アルコール依存症であれば、WHOが簡単なスクリーニングツールを開発しているし、暴力を振るう者に対するアセスメントのツールもたくさんある。そして、治療プログラムも数多く開発されている。
今後このような事件を根絶したいと本気で思っているのであれば、何の薬にもならない理事長講話などで誤魔化すことはやめて、きちんと専門家に頼るべきだ。
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大相撲行司セクハラ事件、式守伊之助の言い訳に潜む「2つの問題点」
人権よりも協会ルールが大事なのか
原田 隆之
「内輪のルール」を重んじる違和感
今回の事件で、やはり気になるのは被害者のことである。
本人には処罰感情はなく、被害届も出さない意向だと報じられているが、果たしてこれが真意なのだろうか。
まさにドラマのように、「君の前途を考えると、事を荒立てないほうが身のためだよ」などと、パワハラが行われたのではないかと勘繰ってしまう。
しかも、相撲協会側としては、それがパワハラなどとは露ほども思っておらず、「本人のための措置」などと本気で考えて、こんな対処をしそうである。
〔PHOTO〕gettyimages
公表が1ヵ月も遅れたことに関しても、一部で疑惑が報じられている。
現時点で明るみになったのは、内部からメディアに対するリークがあったためで、それがなければ協会は公表するのを控えていたのではないかということだ。協会上層部のこれまでの振る舞いを考えると、そう勘繰られても仕方がない。
暴行問題でも明らかになったのは、相撲協会というところは、法律よりも、被害者の人権よりも、協会の体面、協会のルールが至上なのだということだった。
だから、法律を重視して警察に被害届を出し、捜査が終わるまでは協会の聴取に応じないという態度に終始した貴乃花親方に対し、「協会への報告義務を怠った」「礼を著しく失していた」という「内輪のルール」のほうを重んじて、処分した。
処分に当たっての会見では、相撲評議員会の池坊保子議長は、「膿を出し切りたい」と強調していたが、それならば自分たち上層部が真っ先に辞任するべきだろう。
そして今回のわいせつ事件で、協会側が事を重視し、本当に反省しているのであれば、何よりも協会が事件を告発し、内輪の処分で済ませずに、司直の手に委ねるべきである。
変わるのは、そこからだ。
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