みやざわひろゆき-宮沢弘幸
- 宮沢弘幸
- レーン・宮沢事件
- 軍機保護法違反(スパイ)容疑
- スパイ冤罪(えんざい)事件
- 北大
※
http://www.asahi.com/articles/CMTW1411120100002.html
北大、スパイ冤罪事件顕彰記念碑の建立拒む
2014年11月12日09時58分
■開戦時のスパイ冤罪「レーン・宮沢事件」
軍事機密を米国人教師に漏らしたとして、日米開戦の日に軍機保護法違反(スパイ)容疑で北海道大の学生や教授が逮捕された「レーン・宮沢事件」。事件を顕彰する記念碑を北大構内に建てたいという遺族らの申し入れに対し、北大が「応じられない」と回答したことが11日わかった。拒否の理由は明らかになっていない。
■名誉回復図るも…理由示さず
記念碑は「心の会の碑(仮称)」。元北大講師の山本玉樹さんらが昨年つくった市民団体「北大生・宮沢弘幸『スパイ冤罪(えんざい)事件』の真相を広める会」が、北大構内にある外国人教官宿舎跡に建立する計画をたて、9月末に賛同者約350人の署名を添えて3坪ほどの用地の無償提供を北大に申し入れた。
記念碑の名は、戦前の1939年、北大の外国人教官と学生が人生や学問について自由に語り合う場として作られた「ソシエテ・デュ・クール(心の会)」から取った。会の中心にいたのが、英語教師だったレーン教授夫妻であり、北大生だった故・宮沢弘幸さんだった。
1941年12月、宮沢さんは海軍根室飛行場の存在をレーン教授夫妻に伝えたとして逮捕された。その存在は当時、広く知られていたが、宮沢さんは懲役15年の判決を受けて服役。戦後釈放されたが、獄中で患った肺結核などにより47年、27歳で亡くなった。
米国に送還されたレーン教授夫妻は戦後、北大に再び招かれ教壇に復帰。一方、宮沢さんは逮捕後に「退学」となったままだった。北大は今春、宮沢さんの名を冠した「宮沢賞」の創設を決め、宮沢さんの「名誉回復」を図っていた。
記念碑の建立計画には北大の元総長2人も賛同者の輪に加わった。会の会報には「クラーク像とともに、多くの人が訪れるところになってほしい」(私立高校講師)「碑の建立は、自由の精神を大切にする北大の歴史の豊かさを示すものになる」(北大名誉教授)などの声が載った。だが北大は10月30日付で、山口佳三総長名の「応じられない」との回答文を送付。回答文には理由は書かれていなかった。会側は、話し合いの場を設けてほしいという要請書を北大に送り、12月6日までの回答を求めた。
山本さんらは「宮沢さんの冤罪を認めた北大が、記念碑建立を拒む理由がわからない」と困惑している。
(日比野容子)
※
- 驚いた。日本でもこういう意図された冤罪事件が起きるんだ。隣国の民主化の遅ればかりに目が行くが、日本だって油断はできないということだ。
※